⑴、郡界標石「従是西三原郡東津名(斜体部分は欠字

               釈文「これより西三原郡、東津名郡」

   砂岩製 高さ×幅×奥行  165×30×30㍉

   宝暦14年(1764)建立

   所在  洲本市桑間

    注;写真の説明板は、昭和61年に洲本市教育委員会が建立した由来書。

郡界標石
郡界標石

 

 この石碑は、「郡界標石」という道標の一種のしるべ石です。              淡路島は奈良時代のむかしから一国をなし津名郡と三原郡に分かれていました。大正12年に地方行政制度としての郡制が廃止になってからも擬制として郡名は残り続け、行政から、また庶民生活から郡名が消えたのは、平成17年に行われた平成の大合併によって島内から町村が姿を消し三原郡南淡町、津名郡一宮町といった表記がなくなったのが最後だと思います。

 それだけにこの郡界標石は、郡という行政組織があったことを知る貴重な歴史資料であるうえに、この標石は、次の二つの理由からたいへん珍しいものです。

 その一つは、ふつうしるべ石ー道標の類は形、内容さまざまなものが見られるのですが、郡界を示したしるべ石は、淡路島でもこの一本だけで、全国的にも珍しいもの(『淡路島の道標』「表紙写真解説)だというのが一つ。                        二つ目は、このしるべ石の製作年代を記した文献があることです。江戸時代後期に著された郷土地誌『味地草』に「宝暦十四年申年洲府の石匠某三人官所に願を経て建立す。府下の今田某の書くところなり」と書いています。(『淡路島の道標』同前)。            さらに、このしるべ石は、長い年月行方不明であったのが、この本の著者たちが市内某所に埋もれていたのを発見し、元あった場所へ再建したというエピソードがついています。    一本のしるべ石がこんなにも豊富な話柄をもっているのも珍しいことです。

 なお、この郡界標石が建つ現在地「山崎の西岩鼻」の地は、昭和8年に三原郡加茂村が津名郡洲本町に編入されたことにより、郡界ではなくなっています。

  参考資料;『淡路島の道標』田村昭治・波毛康宏共著・1985年

〈注記〉

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 ②、付図はグーグルマップからのリンクによる、資料の所在場所の表示。この地図は画面左にあるスケールの操作で拡大、縮小ができます。